人間は言葉で出来ているから、言葉を磨けば人を動かせられる。


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表現を学ぶ

思い出は言葉でできている。
言葉が無い限り、思い出を説明するのは無理である。

例えば、次の文章。
今日は、7月20日の海の日で祝日。友達とみんなで海水浴に行った。
海には大勢の家族連れ、男女混合のグループが楽しんでいた。
帰る頃には、照り付ける日差しを浴びて、ほんのりとした焦げ茶色の肌になった。

今日の一日を表した文章であるが、これは言葉がなければ成り立たない。
これらの言葉を読んでイメージされたものが、ある意味、思い出になる。

実際に体験したことは、時を経れば忘れてしまうが、自分だけに留めておかず、誰かと共有することで、温もりのある思い出として保管される。どんな事象も、どんな出来事も、人の心理も、気持ちも、言葉で言い表せられる。表現を学ぶことで、思い出の鮮明さや温度感は、色褪せることなく、伝えられる。

自分の伝えたい思いを相手に正確に伝える。

表現を学ぶことで、経験した出来事を、温もりのある思い出として保管できる魅力を語った。ただ、表現の方法によっても、どんな温もりになるのか、心温まる温もりなのか、逆に不快なものになるのか、が伝え方によって様変わりしてしまう。一つの出来事も皆が考えることや思うことは似ていて行き着く先は一緒になりがちで、結局はそれを何で表すかで変わるものだ。

例えば、言葉で表すにもいろんな表し方があり、堅たい言い方で表す人がいれば、軟らかい言い方で表す人もいて、ちょっと傾いた感じで言う人もいれば、直接的な言い方で表す人もいて、それは言い方の違いでもあるんだけど、受け方によっても変わって、伝え方は思い出を共有する上で、とても大切になってくる。

同じ出来事を経験した人は、言いたいことの根っこは同じで、要約すると数文字で言い表せられてどれも違わなくなるんだろうけれど、自分が思った気持ちをどう表現するか、で同じ思いにも色合いが出てくるんだろう。

相手に誤解を与えず、何よりも伝えやすいツールは言葉。

思い出を写真にして残す方法もある。また、スケッチにして残す方法だってある。思い出を誰かに伝える方法は色々あると思うけれど、1番自分の気持ちを誤解を生まず伝えられるのは言葉なんじゃないかと思う。

極論を言えば、全ての表現は誤解を生む。自分の気持ちが相手に正確に伝えられることはほぼないと言ってもいいと思う。
それでいても、絵や写真なんかの恣意性の強いツールより、言葉の方が伝えられる率は高いと思っている。

絵や写真も言葉でしか表現されてはいない。

絵や写真も言葉でしか表現されてはいないのである。

例えば、絵や写真を見てもらって、感想を言ってもらうとする。
「美しい」とか「素晴らしい」などの感嘆を言葉で表現する。

しかし、よく考えてみると、これらは言葉で表現しているものだ。
写真について抱いた感想を言葉にして表現されているに過ぎない。

理解できている状態と説明できること

伝わっている状態=理解できている状態とすると、わかりやすいかもしれない。絵や写真について、感想を述べてもらおうとすると、言葉にしなければ、相手に伝えることは出来ない。そして、相手が伝わっているかを確認する工程が相手に言葉で説明してもらうことだろう。

自分が言語化した感想と、相手が言語化した感想が、同じ言葉を使っていて、同じ一文を書いていれば、それは理解された、つまり伝わった状態になるのだろうと思う。

理解できている状態とそれを言語化して伝える能力には、乖離があることがわかる。

言葉を磨こう。

文章や表現は誰にでも出来る。人間社会で生きていて、話し言葉や書き言葉が使えない人はほとんどいない。少なくとも教育課程を経ていれば、物を書くことは基礎であるし、ある程度の文章力や語彙力は磨かれている。しかし、それだけでは不足していると思っている。書き方・伝え方・見せ方によって受け手の受け取り方が変わってくる、という視点では教育を学んできていないからだ、と思う。

どういう風に受け取らせたいから、どういう書き方をすればいいのかやこういう書き方は相手にはどう伝わってしまうのだろう、というカリキュラムは学校では組まれていない。これは、人と接していて傷ついたり、傷つけたりした中で、個々人の裁量によって学んでいく領域なのだ。

これはとても重大な問題だと思っている。言葉には強い影響力があって、リットンも説いているように、ペンは剣よりも強し。道徳を学ぶと同時に、言葉の用途も学ぶべきなのだ。

人間は言葉で出来ている。

人間には、他の動物と違って高知能を有している。人間は、動物界で唯一「言葉」を使いこなす生き物だ。言葉によって、人間の感情は右にも左にも簡単に影響を受けてしまう。つまり、「言葉」を巧みに使いこなせれば人を操るのは造作も無いこと、ということになってしまうのだ。

言葉が文章を作り、文章が法律を作り、法律が人を制御する。言葉の使い方を一歩でも誤ると、悲劇に変わってしまう。でも、正しい使い方をすれば、自分の伝えたい思いを伝えて、自分の正義を布教することも出来る。

言葉はとても繊細なものだけど、だからこそ、正しい使い方をするべきなんじゃないかな。

 

 

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