2020年からの広告の役割


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世の中には、作品と呼ばれるものがたくさんある。

それらのすべてには書き手の思いが詰まっていて、
あらゆる視点から、様々なことが表されていて
退屈なものなんかは何一つないはずなのだ。本来であれば。

ただ、このところ良いとされる作品はどれも退屈にみえる。
良いという定義が薄れて迷子になっているからだろう、と思っている。

良質ものが遠くへ行ってしまい、手抜きなものや贋作が
身の回りに溢れかえっている事態があるように思える。

無作為に読書をする雑食系読書家なんかがいる。
好みのジャンルは特になく、語彙や知識を吸収するために
ありとあらゆる種類の本を読む。

この行為を決して否定的に捉えようなどはするつもりはないが
ただ、ジャンルを特定せずがむしゃらに読書をする人の特徴は
おそらく、多数というものに振り回されてしまっているんじゃないかと思う。

ランキングやなんたら賞やらで、多数が良いと結論付けた対象物を
まるで、味の違いはわからず行列に並んでグルメ家と名乗るような
もしかしたら、グルメ家である名が欲しがる欲求と似ているのかもしれない。

受け手より送り手の数が増えてしまった今の世の中は、作品が溢れかえっている。
そして、審美眼を持たぬまま溢れかえった作品の中でもがく積極的な受け手は、
何が美なのかわからぬまま表層的なもので美醜を判断しているようにみえる。

もしかしたら、人の数だけ作品があったもいいのかもしれない。
それらを許容できる大きな心があれば、という話になるが。

ただ、思うのは、今の現状の商品との接し方は正義ではない気もする。
受け手が何を信じるのか、という判断は保証されているわけではあるが
あまりにも送り手と受け手のリテラシーに格差がありすぎると思う。

これからの広告全般の役割は、これまでのようなリーチを確保する広告から離脱すべきだと思う。
テレビのような信ぴょう性の薄い視聴率でタレントCMを垂れ流したり、
Web広告のような、ある種の人間魚釣りみたいなハンティング形式のマーケティングは正義ではない。

本当に良い商品を広く告げ、買い手が商品に対して理解をし、
必要であると妥当な判断をするように促すのが、これからの広告の役割なんだと思う。

P.S.
「でも、そういう広告でも、受け手は納得して買っているわけだからいいんじゃないのか」
という疑問をいただいたが、確かに、それもまた間違ってはいないことだと思う。
ただ、そこにある送り手の気持ちが自分には我慢ならないところがある。
やましい気持ちや下心(売上さえあがればよい等)な態度が嫌なのだ。
広告で商品の良さを伝えて、受け手が自分で良いと判断して、不便だった日常に良き変化を与える。
そんな態度で送り手は広告を考えるべきなんじゃないかと。理想論にすぎないのかもしれないが。

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Web系広告代理店の中の人。人生は「お金稼ぎ」と「恋愛」ゲームということで、ゲームの実況中継的感覚でサイトを運営しています。Instagram、始めました!